画家、彫刻家、音楽家など、芸術家の書く文章は、面白いことが多いです。
岸田劉生は愛娘の肖像である「麗子像」で知られていますが、38年の生涯の中で多くの文章も残しています。
当時日本に来たゴッホの「ひまわり」を見て、芸術としてはかなり優れているけれども、興奮が芸術化されずに生のままになっている、と評した劉生。こんにち何十億円もの値段がついているゴッホの絵画を、私は劉生のように冷静な目で先入観なしに見ることができるだろうか、と感じます。
「…影の多いということは、それだけ「質の美観」をかくしてしまう……。影の多い描写は多く通俗になる。レムブラントの画の一味の通俗味と写生の不緊密から生じる描写の「甘さ」は、此処から生じている」
「……写実を離れた、芸術の美の主体はともすると独り合点に陥りやすい」
こういった劉生の発言か100%正しいかどうかはわかりませんが、私には納得できるところがあります。
また、近代建築が建築家個人の思想の表現になっていて、そこには「美はなく「考えばかり」があります」という一節も、心に残りました。
日本の妖怪についての考察も、大変興味深く読みました。